Next Page                                                    INDEX
17 『作品と人格』
 

<限りなき飛翔>

一つの作品において真の意味での完成はありません。一つの作品は次へ

のステップであり、より高次への反省材料でもあります。この意味におい

ても作品は自己の心を観つめる鏡であり、又、作品を鑑賞する人々の心

に映ったもの、即ち評価等も作者自身の心の投影であるといえます。

 
然るに作品への反省もなく、鑑賞者の評価をも気にせず「これ以上の出来

栄えはない」と豪語する人を見るとき、非常に悲しい想いに駆られます。

それが有名であればあるほど救いようのない人に思えます。そんな人は

もう作品を作る必要のない人です。何故ならそれ以上の作品は創作不可

能なのですから。

 
作品作りというもの、作者の持てる能力を最大限に発揮することでありま

すが、たとえその能力が最大限表現されたとしても、それで完結ではあり

ません。より高次への布石として、更なる挑戦が待っているからです。この

意味からも未完です。そうでなくては新たな作品作りなど無意味でしかあり

ません。

 
前述の能力とは、作者の人生に於いて生来のもの(性質、感性等)、又、

後天的に身に付けた知識や技術等、更にものの見方・考え方等、精神性

のもの(いわゆる哲学)をいい、それらはおしなべて経験です。これらの経

験等は更に生涯積み重なるものです。従ってその時点における作品は人

生の通過点としての経験的発露でしかないのであります。

 
先天・後天を問わず、能力は磨かれ鍛えられてこそ光り輝くものでありま

す。このように持てる能力を磨き又、新たに身に付けてこそ、更に良い作

品作りが可能となるのは自明でしょう。

 
このことは「人格」という作品作りにおいても同様であります。人格の完成

も又、あり得ないことです。これは誰しも認めることでしょう。もし、「私は人

格完成者である」と言いきる人がいたら、それは紛れなき大妄語(大嘘つ

き)の人であります。

 
作品は人が作るものです。それはその作者の精神内容を表現することで

あり、鑑賞者に精神的意図を訴えることであります。故に、同じ内容の表

現を繰り返しても飽きられるでしょうし、そこには発展性も進歩もなく、只、

怠情が映るのみです。より高次のより進展した内容でこそ、鑑賞者に大い

なる感動を与えるものとなります。それは精神内容であり、人格そのもの

でもあります。

 
技術や知識等は表現の為のものであり、それ自体精神内容ではありませ

ん。しかし、技術や知識も向上しない限り、より高次の作品も生まれませ

ん。心と技術は相関関係にあり、人格の向上とあいまって、作品の向上が

期待できるのであって、ここに作品と人格は「爾二不二」の関係となるので

あります。

 
故に、作品における完成は人格の完成と同様に有り得ず、只、限りなき前

進や飛翔でしかなく、その「前進・飛翔」こそ真の人格美であり、素晴らし

い人間性の発露としての作品そのものなのであります。


                                       ー守道ー


TOPMENU