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20 『写心私観』
 

写真をするということは、或る対象をフィルムに潜像化し移り行く時を固定

化する作業であります。しかもその対象は、単に五感で知覚され得るもの

のみでなく、心で表象され得るものをも映像化することができます。

 
例えば、「時間・空間」といった物理的概念、「幸福観・無常観」というよう

な哲学的概念、更に「侘び・寂び」等の感覚的概念さえも一枚のフィルム

に記録することができます。

 
森羅万象須らく移り行く。仏教では「諸行無常」といい、「すべては一瞬た

りとも止まることなく消滅を繰り返すものである」という意味で使われます。

写真はその刹那を時間的・空間的・物理的に固定化しようとするものです

が、当然のことながら物理的には常住不変で有り得るはずはありません。

しかし、移り行く時を再生することによって、かえって見るものに「無常観」

等を想起させ、その心に永遠? に定着化させるものとなります。

 
このように写真は対象の「真」や「今」を写すというものの、その本質は決

して単なる今でもなく、又、対象を映像化するだけのものではありません。

それを写す行為者がいる限り、その行為者の「心のあり様」が具現化され

るということです。
 
更に能動的に見るならば、或る対象をカメラというメカニズムを介して、そ

の外的素材や形態に捉われることなく、その内的本質を自己の心象と融

合させることにより、行為者の心的表現を映像化することでもあります。更

に進めて、対象からの外的・内的な働き掛けが行為者の働き掛けと一体

となるとき(自他不二)、最も素晴らしい「決定的瞬間」としての写真が誕生

することになります。これこそ「心的世界観」を表現する『写心』なのです。

 
一方、記録としての写真のあり方における重要な意義もあります。それは

先にも述べましたが、過去と未来を生みだすところの現在、即ち、「今」と

いう時間的現象を捉えるということです。これは二度と訪れることのない一

瞬、つまり「歴史的瞬間」を定着固定化する作業です。「只今」という一瞬

をフィルムに固定化した瞬間、それは既に過去としての記録的歴史性が

生じることになります。しかしその「過去」は映像化されて再び我々の目に

晒されることにより、「今」として蘇り生き続けることになります。これは写

真という記録性が「過去」を呼び戻し、新たに「未来」への働き掛けを為す

ということを意味します。

 
この様に写真は、単に記録としての意義に止まることなく、「今」を「過去」

として押し流すことなく、「永遠の今」として「過去」と「未来」を結びつけ、更

に「未来」に向けて多くの人々の心にあらゆる教訓や問いかけを為すもの

であります。

 
斯くの如くに写真は、記録の上に成り立つ『芸術』であり、且つ『哲学』でも

あります。この両意味合いにおいて写真は、『写心』となるのであります。 
                              
                                       ー守道ー


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