現在のカメラは被写体を写すということに限っては、殆ど専門的な知識も
技術も必要としません。誰でも押せばキレイに写るようになっています。
しかし、それでは誰が何の為に写したのか、その写真からは見えてきま
せん。
写真をするということは、或る目的を持って、その為の表現手段としての
行為でなければ大した意義も価値も生じません。又、主張も感性も発揮
できません。即ち単に写真をするということが目的ではなく、自己主張や
表現目的の手段としての写真でなければ大した意義は生じないというこ
とです。
何故なら、写真行為そのものが目的であるなら、それ以上の目的は存在
しなくなり、結果を問うことも、より以上の探求心も必要としなくなり、行為
自体が楽しみという単なる趣味に終わってしまうことになります。
一方、写真行為が手段であり、目的が別に存在するなら、その目的達成
の為の知識や技術等を学ばねばなりません。ここに重要な意義が発生す
ることになります。
写真を手段とした自己表現や主張が目的なら、その実現に向けた模索と
探求が常にあり、より以上の作品を目指しての「飽くなき挑戦」が真の目
的となります。
ところで如何なる表現をしていくかは、各人の方向性であり、又、個性で
ありますが、その表現の為の重要な基本的要素として、次の五つが挙げ
られます。
<より以上の表現の為の基本的要素>
一、知 識(写真のみに止まらず全般的知識まで)
二、技 術(写真の経験的技術)
三、工 夫(ソフト、ハード両面の工夫)
四、感 性(五感と第六感)
五、哲 学(人生観及び思想)
通常、一・二は写真を楽しむ目的だけでも学ぶに越したことはありません
が、表現としての写真を目指すには、三、四、五をも学び、磨きをかける
必要があります。この五つの要素は表現としての作品の奥深さ、即ち完
成度の高さを増す為の重要な要素です。
撮影者自身が写真をするということに関してどれほどの価値観を置くかに
よって、この五つの要素のどこまでを必要とするかということであり、そし
てこれらの履修のあり方によっては、人間としての人格さえも高揚せしめ
ることを可能とするものであります。
ー守道ー
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