子供の感性は、その自然の赴く侭の行為の中にキラキラと輝いています。
このことはその行為の純粋さ、即ち、結果の是非や打算の余地のない自
由奔放さによるものであります。又、その行為の源泉は旺盛な好奇心であ
り、それ以外の何ものでもありません。
我々大人にはこの純粋さというもの、既に過去の遺物となり、常識という
偏見の垢に染まり、更に打算や思惑という代物に押し隠され心の片隅に
追いやられてしまっています。子供のような純粋な好奇心を働かせること
など現代の大人には至難の技となってしまいました。
何故でしょうか? その最も大きな理由はこれまでの人生で培われ養わ
れてきた常識や価値観、更には打算や結果の是非に捉われ、束縛されて
いることです。
子供のように感性を発揮し、又、磨きあげるということは、取りも直さず、
純粋さを取り戻し好奇心を旺盛にすることです。これまでに培った常識や
価値観を一度棚上げすることでもあります。そして、ありとあらゆる事柄を
受容し得る心の素地を抽き出し、見つめ直すことでもあります。
人生で学んだ知識や経験、常識や価値観等は、潜在的な感性や才能等
を閉じ込め消し去るものであってはなりません。知識や経験等は、それら
を活かし得るものであってこそ、始めてその意義を為すものです。
しかし我々大人にはせっかく学んだ知識等が先天的な感性等を閉じ込め
るような逆効果にしか働いていません。本来の資質を活かす方向に向か
わなければ、誰にも備わっているはずの貴重な才能は持ち腐れてしまい
ます。
今、我々大人にとって必要なことは、
何かに対して、
純粋に楽しみ、
無邪気に遊び、
そしてあらゆるものごとに対して、
大いに感動し、
我を忘れる。ことです。
これらを実践するのに写真ほど適切なものはないでしょう。
例えば、レンズを通して純粋に自然と親しみ、無邪気にカメラと遊びながら
小さな自然や大きな自然の驚異に触れ、大いに感動し新たな発見に我を
忘れる。これこそ写真ならではの実践であります。
写真を通しての実践は、日常の場では決して得ることのない大いなる感性
を抽き出し磨きあげる場となります。しかし、真の感性を磨きあげるには
次のことを認識しておくことが必要です。
人には五つの感性の状態があります。
一、眠っている感性(潜在性感性)
二、抑圧されている感性(未顕在感性)
三、啓発されていない感性(未学習感性)
四、気付いていない感性(顕在無自覚感性)
五、気付いている感性(顕在自覚感性)
この五つの状態を認識して、個々に引当て自己啓発していくことです。そ
の為にも子供のような純粋、且つ無邪気な忘我の実践が必要となります。
ところがこの実践は日常的には困難でしょう。故に、誰にも迷惑の及ぼさ
ない個人的写真世界がその実践に相応しいものとなるのです。
更に、写真そのものが既に感性の世界なのです。写真の世界に通俗的価
値観は通用しません。身分や地位、財産の多寡で感性や才能が左右され
るものではありません。常識や偏見、功利や打算も、感性を引き出し磨く
にはお荷物でしかありません。
真の感性は自由奔放に一切の捉われから開放されてこそ、発揮され磨か
れていくものです。そしてこの方向にのみ真の写真の道があり、芸術として
の道があり、人間本来の生きるべき道も又、見つかるはずであります。
*大いに楽しみ
大いに感動し
大いに我を忘れよう!!
*感性と才能を磨き
写真で自身の世界を創造しよう!!
ー守道ー
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