花や風景に限らず写真を撮る場合、単に被写体を写すという意識は捨て
ることが肝心です。被写体そのものを写すという意識は、単に記録や再現
に終わることを意味するからです。その被写体に内在する良さや本質、或
いは撮影者がその被写体から何を感じ取り、どう表現するかという大切な
精神性が希薄になるからです。
「写真は感性を写すもの」といっても過言ではありません。何故なら、被写
体の何処に感じ入り、何に感動したかによって、構図やピント、更に露出
さえも自ずから決定されるからです。
作者自身の感動をフィルムに焼き付け、観る人々にその感動を伝え共感
を得るには、知り得る限りの知識や技術を駆使する訳ですが、この意味
からも被写体自体が主役ではなく、感性が主役であり、それを生かすため
の技術等が脇役となります。この感性を活かす自己表現の写真のことを
「写心」と称するのであり、被写体だけのリアリティーを写すだけの写真、
即ち色や形の再現やシャッターチャンスのみを優先させる写真に拘わって
いる限り、作者の自己表現にはつながりません。
写真が写心であるためには、被写体の何処に何を感じたかという作者の
主体性(感性)が表現されなければなりません。
感性が主役であり、その感性を表現するために技術や知識があるという、
つまり、被写体を通して作者の感性や哲学を表現する「写心」こそ、これ
からの方向性であり、写真が芸術としての市民権を獲得するための必須
のあり方であると確信するものであります。
ー守道ー
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