| 『 写心不二論(写心とは) 』 <序> 写真は「写心」 |
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絵画やイラスト、更に墨画等という描画系部門は、あらゆる「表現方法」を駆使して作者の想いを描くのに対して、従来の写真は「記録的再現」、即ち、被写体のディテールや色彩の記録的再現に重きを置き、また、シャッターチャンスや出遭いのドラマ性を記録してきました。従って、写真というジャンルは絵画等の描画系のものに比して、表現という作者の想いを描くことは余り重要視されてきませんでした。 一般に芸術と呼ばれるあらゆるジャンルのものは、作者の想いを表現し、個性を発揮する方向を模索しています。故にその表現方法も自由であって、常に新たな発展性を目指してきました。然るに写真はあくまで記録や再現に拘り続け、表現や創作を嫌いその発展を阻害してきたといえます。 写真が芸術のジャンルに仲間入りし、更に発展する為には従来の記録重視とは別に、表現や創作を目指す方向性を模索する必要があります。写真も表現の一手法であると認識さえすれば、表現や創作の方向に向かえます。 絵画のように、絵の具と絵筆でキャンバスに作者の想いを描くように、写真もカメラとレンズという絵筆でフィルムというキャンバスに、光と影を使って、作者の想いを描くことも可能なはずです。否、可能どころか、絵画に比して物理的制約はあるにせよ、写真のメカニズムや感材でなければ表現できない写真独自のものがあるはずです。 写真は「真を写す」という神話的な柵がある限り、表現や発展性を拒み続けます。写真は「写心」である。心を表現する手法の一つである。ここから新しい創作が始まり、写真というジャンルの新しい可能性が拓けます。 写心は「心を写す・・・」作者の熱き想いをフィルムというキャンバスに焼き付けるのです。事実、写真には心は写るのです。ですが、単に写るのではなく、自発的に写すのです。作者の想いや個性を積極的に写すのです。これこそが「写心」なのです。 その為には、記録という観念を捨てて、常に創作という想いと表現としてのイメージを描くことが大切です。当然、技術面も磨かなければなりませんが、それ以前に「何を・・・、どのように・・・」表現するかということを意識付けることが大切です。 それは、「テーマ」であり、「精神的な訴求」です。この表現テーマ等が決まれば、表現の為の技術は、その必要性から自然と学び取れます。技術が先行するのではなく、あくまで表現の為の心の問題が先行しなければ、新しい創作作品は生まれません。 想いは作者の人生観であり、個性であり、感性です。表現も又、自由です。旧態然の写真に拘る限り、心の自由も表現の可能性も閉ざされてしまいます。心の表現、個性を表現する「写心」を目指しましょう。 |
| Shudou |
| ◆ 本編 『写心不二論』 につづく ◆ |